連合東京

労働組合と
労働者自主福祉運動の
連携が
貧困社会を切り拓く鍵

労働者福祉中央協議会 元事務局長
高橋 均さん

連合君

まずは最初に、高橋さんが労働組合の役員になったきっかけを教えてください。

高橋均さん

高橋さん:大学を卒業したのは学生運動が活発だった1970年。私はノンポリでしたが、「産学共同批判」に賛同して就職活動をしなかったんです。しかし、好きな女性と結婚する条件が定職に付くことだったため、中途採用で中堅の旅行会社に入社しました。無事に結婚して子どもも生まれたのですが、給料は4万3千円。田舎の両親から米や野菜を送ってもらいなんとか暮らせる生活でした。そこで、仲間と極秘に相談してつくったのが労働組合。バレたらクビになると思っていたので、結成までの1年は本当に怖かったです。私は書記長に選ばれ、結成直後の74年春闘で給料が7万円になりました。当時の労働組合は、みんな活き活きしていて結成して良かったと実感したものです。

連合君

その後高橋さんは、観光労連本部(現:サービス連合)の委員長を務め、連合本部時代には組織拡大や非正規労働センターの立ち上げなどに関わり、労働者福祉中央協議会の事務局長も務められました。これまで、様々な立場から労働組合を見つめてきたと思いますが、労働組合とはどのような存在であるべきだと考えますか?

高橋均さん

高橋さん:労働組合には、普段は気付かないけれど、困ったときに手を差し伸べ、寄り添って交渉して改善してくれる、水か空気のような存在であってほしいと思います。
NHK放送文化研究所の調査によると、労働基本権を知っている人の割合は、私が仲間と労働組合を結成した頃の1973年では39.3%でしたが、2018年は17.5%と半分以下になりました。労働基本権の認知度が低くなったのは、労働者が貧乏から抜け出したからではありません。たとえば、国税庁「民間給与実態統計調査」をみると、GDPが伸びているにも関わらず給料は下がっていることがわかります。
かつて私も同僚もみんな貧乏でした。しかし、労働基本権を知っていたし信頼し合える仲間がいたため、労働組合を結成して給料を上げ職場を改善することができました。でも今は、権利も知らず、貧しさを相談できる仲間もいない、そんな貧しさと孤立が生むのは貧困です。今、改めて労働組合の価値が問われる時代になっていると思います。

連合君

労働運動に関わる人にとって、「高橋さんと言えば労働者自主福祉運動」というほど様々な場面でご講演をされていますが、あらためて労働者自主福祉運動について教えてください。

高橋均さん

高橋さん:私は、労働組合と労働者自主福祉運動は車の両輪のようなものだと思っています。両者の関係は戦前から濃密で、大正時代に労働組合(当時は友愛会)が主体となって次々に生協をつくりました。戦後になってからも両者は連携関係にあり、協力して設立したのが労働金庫と全労済(現在のこくみん共済coop)です。「労働者自主福祉運動」と呼ばれるのは、各協同組合事業が労働者の労働運動によって、自主的につくられたことに由来しています。

連合君

現在の労働者自主福祉運動で高橋さんが課題に感じることはなんですか?

高橋均さん

高橋さん:かつて労働組合は、労働金庫や全労済のことを「共に運動する当事者」として捉えていました。ところが、各協同組合事業が発展するにつれて、両者の関係が「お客さん」と「業者」に変容したように感じます。その原因の一つは、私も含めて労働組合側の不勉強。これまでの両者の歴史を語り継いでこなかったためだと思います。

連合君

この課題に対してどのように取り組むべきだと考えますか?

高橋均さん

高橋さん:特効薬はありませんが、すぐにやれることもあります。たとえば、労働組合が毎年の運動方針に「労働者自主福祉運動の推進」を掲げ、改めて協同組合との連携を強化すること。中央労福協では、連合や協同組合と一緒に各労働組合に対して「運動方針に掲げてほしい」と啓発活動を進めています。また、労働組合と協同組合が共に力を合わせて歩んできた歴史を振り返り、改めて「共に運動する当事者」として連携を強めて欲しいですね。それが両者を発展させる一番の近道ではないでしょうか。

連合君

労働運動の歴史を振り返るにあたり、高橋さんが今年6月に出版された『競争か連帯か―協同組合と労働組合の歴史と可能性』はとても勉強になりました。この本の中にも登場し、労働運動の歴史を紐解く際に欠かせないのが、生協運動の父である賀川豊彦氏。賀川氏が残したもののなかで、現在の運動にもつながるものを教えてください。

高橋均さん

高橋さん:賀川氏は労働金庫と全労済の設立時に顧問を務めた重要人物です。賀川氏は、一人一票制と権力分散を徹底すると同時に、事業運営のためには利益を生み出さなければならないという協同組合の宿命を見据えた超現実主義者だったと思います。晩年に掲げた「協同組合中心思想7ヵ条」では、人間が常に我欲と倫理観の両方を持つことを肯定したうえで、協同組合は組合員、国民のためになるのだと説きました。7ヵ条の最後の項目は「教育中心」。ここでは、民主的であることとビジネスの両立は困難なため、協同組合発展のためには、その良さを繰り返し伝え学ぶことが重要であるとしています。

連合君

「教育中心」は、今の労働運動にもつながるテーマですね。

高橋均さん

高橋さん:協同組合の社会的意義と使命を理解し、運動を担う人材の存在は不可欠です。「教育中心」を貫き、労働組合と労働者自主福祉運動がお互いの関係を再構築することに労働運動の未来はあると思います。

連合君

連合は結成30周年を迎えました。今後、労働組合と労働者自主福祉運動はどのような未来を切り拓いていくべきだと考えますか?

高橋均さん

高橋さん:まずは、労働者の尊厳が尊重される社会をつくるための労働運動と、暴走する市場経済の領域を縮小・相対化するための労働運動自主福祉事業・協同組合経済が手を取り合うことです。そのうえで、両組織が「共益」つまりメンバーシップの殻を破り、「公益」組織へと進化する必要があると考えます。協同組合は、「一人は万人のために。万人は一人のために」と掲げ始まった組織。今日の貧困社会から抜け出すためには、パートや派遣労働者はもちろん、近年増加する偽装請負やギグエコノミーで働く人、外国人労働者など、無権利な労働者を守ることが重要です。そのためには、これまで以上に目的意識を持って、たとえば優遇されている税額相当分や還元されている利用配当や出資配当、支払い委託手数料の一部を積極的に公益に拠出していくことも考える必要があると思います。

連合君

最後に、次の世代へのメッセージをお願いします。

高橋均さん

高橋さん:労働組合が自分達で助け合いの仕組みをつくってきた歴史を知ることは極めて重要です。しかし、「団結ガンバロー!」的な運動を今後も担う必要はありません。みなさんのやり方で次代を創造してください。
私たちの目の前には、自己責任、能力成果主義が強調され、急速に広がったハラスメントやメンタルヘルスの問題など、企業・産業単位で交渉し解決すべき課題が山積しています。また、最低賃金、育児や介護、教育に関する社会的な課題もあります。これには、政党や政治家に働きかけると同時に組合員に訴えかけられる連合東京だからこそできる取り組みがあるでしょう。社会の在り様を一変させたコロナ禍の今が、人間同士が支え合う連帯社会へと転換させるチャンスかもしれません。昔も今も労働組合の役割は、人と人とのつながりによって感動と信頼を伝え合うことです。これからの、みなさんの叡智と行動力に期待しています。

インタビューを伺ったメンバーと共に

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