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連合2025平和行動 in 長崎に参加 ~長崎を最後の被爆地に~
掲載日:2025年8月19日
8月8日~10日、連合東京は「2025平和行動in長崎」に徳重皓平副事務局長、村上友一次長、4ブロック地協、オールユース、女性委員会代表の合計8名で参加しました。
<平和行動in長崎 連合東京行程>
8日 被爆80年連合2025平和ナガサキ集会に参加
9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席
ピース・ウォーク(平和公園周辺)/長崎原爆資料館見学
万灯流し(中止)
「連合2025平和ナガサキ集会」は、冒頭、開催地を代表して髙藤義弘連合長崎会長より挨拶がありました。黙とうの後、芳野友子連合会長、来賓である大石賢吾長崎県知事、リュック・トリアングル国際労働組合総連合(ITUC)書記長よりそれぞれ挨拶がありました。
続いて、羽田麗子氏(長崎平和推進協会・継承部会)から被爆当時のお話後に、長吉田文彦氏(長崎大学核兵器廃絶研究センター)より「国際政治と核兵器の現状」をテーマに講演がありました。
最後に、永田孝平連合長崎青年委員会幹事による 平和アピール(案)採択、若者からのメッセージを経て、ピースフラッグリレーでは、平和行動の次の開催地である佐藤環樹連合北海道副会長へ引き継がれ、閉会しました。
翌日は、出島メッセにて「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」へ出席(平和公園での式典を映像視聴)。連合東京が取り組んだ「千羽鶴」も献納しました。
午後のピースウォークでは各所(①原子爆弾落下中心地碑/折り鶴の塔、②浦上天主堂遺壁、③被爆当時の地層、④松山防空壕群(跡)、⑤平和の泉、⑥長崎の鐘、⑦旧長崎刑務所浦上刑務支所、⑧平和祈念像)で連合長崎の役職員によるピースガイドを受けながら見学した後、原爆資料館を拝観しました。
戦後80年を迎え、語り部の方々の平均年齢は86歳とのことでした。「長崎を最後の被爆地に」するために、改めて次世代に繋ぐための取り組みが必要だと感じました。

(左から)村上次長(連合東京)、仲程さん、徳重副事務局長(連合東京)、浦野さん、蛯名さん、髙館さん、深山さん、河合さん
<参加者感想>
広島、沖縄と平和行動に参加させて頂き、今回長崎の機会を頂き改めて原爆投下の悲惨さ、戦争の残酷さを痛感いたしました。語り部の方々のお話しを聞くたびに、思い出したくない事、蓋をしてしまいたい事を、2度と原爆投下を戦争を起こさせないとの思いで、私達にお話ししてくださり、辛くなりました。ピースウォークは見逃してしまうような事を詳しく話が聞けて風化させないで欲しいと思いました。万燈流しの中止は残念でした。
髙舘 芳子(運輸労連 ヤマト運輸労働組合城東支部)
長崎平和行動には初めての参加でしたが、色々な戦争の悲惨さを改めて感じさせられました。特に「今すべきこと、やらなければいけないこと」というフレーズを投げ掛けている姿をみて、今もなお、ある地域で戦争が続いていることなどを思うと心に響き胸があつくなりました。
参加されたメンバーに恵まれ良い情報交換も出来ましたし、事務局のお二人は天候に左右されたスケジュール調整の中、臨機応変に対応され、参加者が戸惑うことなく活動が終えられたことに改めて感謝いたします。
貴重な経験を踏ませて頂きありがとうございました。
深山 敏顕(東京都電力総連 東京電力労働組合東京地区本部)
1945年8月9日に2発目の原子爆弾が長崎に投下された。歴史の勉強で学んだことであった。今回の平和行動を通して、実際に被爆者の話を聞き、また資料館で当時の惨状を記した写真を見て、多くの人命がその未来が一瞬で失われた出来事であることを実感しました。もう2度と何処の国でも都市でも同じ惨劇を繰り返してはならないと感じました。長崎に入り「長崎を最後の被爆地に」この言葉の実現に向けて、私に何ができるのか、考え行動していきます。
蛯名 久道(電機連合 明電舎労働組合広域支部)
「ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・ウォー、ノー・モア・ヒバクシャ」
サテライト会場スクリーンに映る、平和祈念式典での鈴木長崎市長の平和宣言が耳に残っています。
戦後80年を迎えた今、廃絶はおろか世界には約12,000発もの核兵器が存在し、私たちは常に“核の脅威”に脅かされています。このような状況で、今が平和であると言えるのでしょうか?
私は今回の長崎平和行動を通して“平和”について考え直す機会を得たと思っています。そして80年が経過したことにより、悲惨な被爆体験を語れる方が減ってきている中で、既にその継承と世界平和の実現のために、具体的な行動を起こしている学生たちがいることも知りました。
私が世界平和の実現のためにできること、すべきことは何なのか。まずは身近な課題や取組み一つにおいて、平和の観点を取り入れることから始めたいと思います。
浦野 洋史(電機連合 国際電気労働組合)
オールユース(青年委員会)を代表して「連合平和行動in長崎」に参加させていただきありがとうございました。今年は戦後80年、広島・長崎に原爆が投下され80年という節目の年にこの活動に参加させていただき大変感慨深く感じております。
長崎の地で平和行動に参加させていただくなかで、最も印象に残ったことは「長崎を最後の被爆地に」という言葉でした。長崎県知事や市長の挨拶でも触れられ、街中を走る路面電車のラッピングにも掲げられていたこの言葉は、「過去の出来事は変えられないが、将来・未来は現代を生きる私たちの意志で作っていけるもの。未来永劫、このような惨事を繰り返して欲しくない」という意味が込められた、長崎市民共通の力強く、想いのこもった言葉だと感じました。私自身としては、「日本を最後の被爆国に」と置き換え、平和の尊さを次世代に継承していくことが大切であると強く感じた夏となりました。
河合 智(自動車総連東京 トヨタモビリティ東京労働組合)
被爆80年という節目に参加し、被曝の実相や平和の尊さについて深く学ぶことができました。証言や資料を通じて、戦争の悲惨さを肌で感じ、平和を守ることの大切さを改めて実感しました。未来を担う一人として、過去を風化させず、平和のバトンを次世代へつなぐ責任を強く感じました。
仲程 直子(電機連合東京 東芝テック労働組合本社支部)
今回は戦後80年の節目となる「平和行動in長崎」に参加させていただきありがとうございました。
期間中一部荒天ではあったものの、ピースウォークや課外で行う活動の際は雨に降られず活動ができ大変良かったと思います。
世界で2番目に原爆が投下された長崎ではありますが、私にとっては人ごとではないように感じました。
何故かと言うと私の両祖父母は現・北九州市の出身でありその中心地である小倉が当初の投下命令が出ていた地であったと言うことです。小倉はその前日に八幡大空襲があり、その影響で煙が立ち込めたため小倉への投下ができなかったと文献でも読みましたし、亡くなった祖母からも聞きました。もし小倉に投下されていれば私はこの世に存在していなかったかも知れません。式典参加中には何故か涙が出てきました。
戦争というのは人々の人生を狂わしてしまう。そして80年を経過する今までも原爆というものは被爆者の人生を狂わしてしまっている事実を改めて、今回参加して認識をするところであります。今後も数多くの方が平和行動に参加し戦争・原爆・領土の占領等の戦争の悲惨さを教科書やテレビなどでは感じられないものを現地に足を運び感じ取り、今生きている者が後世に少しでも引き継いでいけるようにしていかなければと感じるものでした。改めましてこのような機会を与えていただきありがとうございました。
徳重 皓平(連合東京 副事務局長)