第7回親子で学ぶ沖縄平和学習会を開催

掲載日:2024年4月5日

 連合東京は、3月31日(日)~4月2日(火)に「第7回親子で学ぶ沖縄平和学習会」を開催し、15組、30名の親子に参加頂きました。

 第1日目はひめゆりの塔と沖縄県平和祈念資料館の視察。ひめゆりの搭では、献花・見学を行い、当時のひめゆり学徒隊の話に参加されたお子さんからは「自分と同じ年の子の話を聞き、自分と置き換えてみたが、自分なら耐えられないと思った」、親御さんからは「息子が当時の学徒隊が書いた手記を食い入るように読んでいたのには驚いた」との感想がありました。

搭の前で献花を行いました

ひめゆりの搭の前で

 

 

 平和祈念資料館見学では、資料館までの道中にて平和の礎(へいわのいしじ※沖縄戦で亡くなった方々全員の名前が刻んである石碑)も拝見しました。

平和の礎を見学

 2日目は、嘉数高台、道の駅かでな、チビチリガマ、首里城及び対馬丸記念館を視察しました。

 嘉数高台は、4月1日、米軍が沖縄本島上陸の際、銃撃戦が最初に行われ場所で当時の銃弾や砲弾の弾痕、陣地壕(日本軍が陣地を構えるために掘った人口壕)、トーチカ(大砲や機関銃を入れてアメリカ軍を迎え撃つための陣地)などがまだ生々しく残っています。

弾痕の後が生々しい

現存するトーチカは数少ない

 みちの駅かでなでは、アメリカ軍の嘉手基地が一望でき、バスが到着した矢先に「F16戦闘機」の爆音が鳴り響きました。

 チビチリガマは米軍が上陸した翌日の4月2日に、そのガマ(自然にできた鍾乳洞)で3歳~70歳の住民83名の方々が「米軍に捕まるくらいなら」と集団自決をした場所です。

チビチリガマの見学

 

 首里城は、火災による焼失から修復工事中の正殿等を見学することができました。

正殿は修復工事中の工程の見学ができます(守礼の門の前で)

 

 対馬丸については、終戦前の1944年8月、学童集団疎開の子どもたちを沢山乗せて那覇港を出港した翌日に米軍の魚雷により撃沈、約1400名の方々がお亡くなりになりました。対馬丸は1997年に水深800mの海底で発見されていますが引きあげられていません。

 講演では、対馬丸に乗っていた2人の小学生のランドセルが展示されており、その2人の妹である、外間邦子さんのご講演と紙芝居で当時を語る動画を視聴しました。

「2つのランドセル」の動画を視聴

実物は館の中で大切に保管されているとのこと

 今回も3日間を通じて、連合沖縄から各段のご尽力をいただき、当日は、石川副事務局長、青年委員会の方々よりガイドをいただきました。お忙しい中、ありがとうございました。

 参加された皆さんから「沖縄の歴史を学び、戦争はしてはいけないと思った」「実際に沖縄に来て、見て、肌で感じることができた」「戦争とは程遠いことだと思ったが、全く違い、とても身近なものであり、この貴重な学習会を子供と一緒にこれたのは良かった」等の感想をいただきました。これを機に何かを感じていただけたらありがたいです。