連合東京

連合東京の枠を越えて
命を支える次の時代の
仕組みをつくる

連合東京 元福祉局長
東京災害ボランティアネットワーク 
前事務局長
上原 泰男さん

連合君

上原さんは、1997年に連合東京ボランティア・サポートチーム(以下、サポートチーム)というボランティアリーダーを育成する仕組み作りをされましたが、そのきっかけになったのは阪神淡路大震災だと思います。当時、連合東京はどのような活動を行ったのでしょうか?

上原泰男さん

上原さん:1995年1月17日、私は事務所に行くと真っ先に、神戸の被災者支援を都民のみなさんに直接訴え、カンパで被災者を支援しようと提案。翌日には連合東京宣伝カーを出し、カンパ箱を持って街頭に立ち、年配の方から高校生まで多くのみなさんから支援を預かったのです。カンパを通して感じた、善意や私達への期待はその後の支援活動への大きな勇気となりました。

連合君

全国の地方連合会の中で最も早く被災地に組合員を派遣したのも連合東京でしたね。

上原泰男さん

上原さん:派遣が決まると、組合員からボランティアを希望する多くのFAXが寄せられました。また、私達の支援活動への想いは各労働組合を通じて企業や組織の責任者に伝わり、医薬品、食料、カイロ、防寒着、安全靴など被災地で必要と思われる大量の物資を提供していただきました。1月27日深夜、物資を載せた連合東京第一陣のトラックを見送りながら、労働団体には被災地を支援する機能があり、労働組合そのものが被災者を支援することが重要だと確信しました。

連合君

阪神淡路大震災発生から約11ヵ月後、連合東京の中に「防災プロジェクト」が設立されます。このプロジェクトの誕生には、どのような背景と想いがあったのでしょうか?

上原泰男さん

上原さん:神戸の支援活動に参加した労働組合のリーダー達を中心に結成したプロジェクトです。それぞれの被災地での経験を、社会の大切な教訓として次世代に残すため運動方針をまとめました。私が最も重要としたテーマは「次の災害に備える人材養成の仕組みづくり」。被災地神戸で誓った「災害を避けられないなら、社会が人の命を支えるシステムをつくる必要がある」という決意を基にしました。このテーマに沿って1997年4月に設立したのがサポートチームです。

連合君

サポートチームは労働組合の新たな活動として注目され、研修は10年に渡って継続されました。この10年を振り返りどのように感じていますか?

上原泰男さん

上原さん:サポートチームは、人の命を支え次の時代に備える大事業です。活動を通してメンバーには、防災をはじめとする多くの困難を抱える人々と共に歩む人になってほしいという期待を込めて取り組みました。研修を通してメンバーが、労働運動に対する自主性を高め責任感と使命感を深める姿から、労働組合幹部の集合体としての連合から、組合員が直接参加する新たな連合の展開を感じました。また、社会に対しても、連合東京独自の人材養成システムの中で防災課題及び被災者支援の重要性を表現でき、更に全国各地の地方連合会に拡大していき、良い10年だったと思います。

連合君

上原さんはサポートチームの活動を続ける一方、1998年に様々なNPO・NGOと協力して東京災害ボランティアネットワークを設立します。どのような意図があったのでしょう?

上原泰男さん

上原さん:これまで、人や組織の考え方の違いによる様々な弊害を経験し、誰もが命の大切さを感じ、災害という不幸にそれぞれの立場から挑める大きな器が必要だと思いました。そこで提案したのが東京災害ボランティアネットワーク。各団体が日々東京の災害に備えて人を育て、災害時には力を合わせて不幸に挑戦するネットワークオブネットワークの仕組みです。当時この構想を本気で語れば、どんな組織の扉も開くことができ、100以上の団体から支持を得ました。この活動が軌道にのり始めた2000年、三宅島噴火災害が発生。災害の第一報を聞き「間に合った。連合東京を中心とした、東京災害ボランティアネットワークが本格機能すれば、島民の命は守れる」と直感しました。

連合君

三宅島噴火災害のボランティア活動には中心的にサポートチームも参加。噴火災害支援、全島避難期間の支援、帰島支援と長期間に渡る継続的なボランティア活動となりました。上原さんの印象に残っている取り組みは何ですか?

上原泰男さん

上原さん:全島避難となり、見知らぬ土地で散り散りになって生活する島民のネットワーク作りです。避難生活中の島民を訪ねて回ったとき、年末になると未来への希望が持てず自ら命を絶つ人がいるのではないか心配になりました。そこで開催したのが「ふれあい集会」。参加した島民達が抱き合い涙を流す姿や、語り慰め合う様子が印象に残っています。また、個人情報の問題などを乗り越え、サポートチームのメンバーと手作りした「三宅島島民電話帳第一版」のことも忘れられません。この電話帳はマスコミ各紙でも大きく報道されました。携帯電話が十分に普及していなかった時代に、島民達をつなぐ良い役割を果たしたと思います。

三宅島島民「ふれあい集会」の様子

連合君

これまで、災害が発生するたびに被災地に赴き様々な支援活動を行ってきたと思いますが、災害支援活動における成功とはどのようなことだと思いますか?

上原泰男さん

上原さん:労働運動でも災害支援活動でも、多くの人と心から信頼し合い力を合わせることが重要です。たとえば三宅島の場合。島民からボランティア達が親しみを込めて「赤帽さん(ボランティアが目印として赤い帽子を被っていたため)」と呼ばれ、いつでも受け入れてもらえる信頼関係を築けた点は、成功と言えると思います。また、ボランティア達に変化があったことも重要です。肉体労働や筋肉痛を通して自分が知らなかった自分の中の善意に気付き、新しい自分を開発できた人がいたと感じています。

連合君

ボランティアが被災地でやるべきことは無数にあると思います。その中で上原さんが最も大切にしていることはなんですか?

上原泰男さん

上原さん:建設業者や専門家でもない私達にできる最大の支援活動は、生活環境の整備の中で被災者と一緒に過ごす時間をもつことです。これまで私は、被災者に向き合い語りかける時間を一番大切にしてきました。三宅島の95歳のおばあさん、体の不自由な子、今食料がなくて困っている人、明日を生きる力を失いかけている人と対面で話し、自分がやるべきことを決意してきました。

連合君

上原さんはこれまで、被災地での決意を行動に変え、防災や災害支援活動における仕組みづくりに尽力されたと思います。その際に欠かせなかったものはなんですか?

上原泰男さん

上原さん:サポートチームの研修でも繰り返し伝えてきたことですが、「集中と分散」です。「集中」とは、人と集まり対面で互いの知恵を交流させ、力を合わせて共通の経験をすることで学び合い、そして自己を確立すること。「分散」は、「集中」によって得たものを他者へ伝え拡げることです。人との出会いと「集中と分散」運動の繰り返しによって、人は自分になかったものを開発してより豊かな自分を築くことができます。そして、そんな人達が所属する組織は必然的に豊かになるのです。私は連合東京に集い、「集中と分散」を繰り返し、多くの人と力を合わせ、ときに助けられながら一緒に良い歩みをすることができました。

連合君

最後に、次の世代へのメッセージをお願いします。

上原泰男さん

上原さん:私たちは働く者です。いつも次の時代を意識しつつ働く者です。働く事に誇りを持ち、多くの人々と共に困難を克服し、幸いを分かち合いつつ歩み続ける者になりましょう。その為にも多くの人々と垣根を超えて出会い、学び、時代の課題を人々と共に引き受け、「集中と分散」を繰り返し、歩み続けると良いでしょう。
もう一つは言葉が持つ力を信じることです。言葉は人の心を動かす力を持っています。言葉こそが人や社会を変化させる可能性を持っています。
最後に、連合東京は119万人の勤労者の方々の集団です。様々な人々が様々な経験と知恵を持っております。この方々が経験と知恵を交流しあえる教育・交流のプログラムができたらより豊かな連合になるでしょう。期待いたします。

インタビューを伺ったメンバーと共に

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