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第6回親子で学ぶ沖縄平和学習会を開催
掲載日:2023年4月4日
連合東京は、3月31日(金)~4月2日(日)、6回を数えました「親子で学ぶ沖縄平和学習会」を開催。15組、30名の親子に参加頂きました。
第1日目はひめゆりの塔の視察。献花・見学を行いました。当時のひめゆり学徒隊の話に参加されたお子さんからは「思ってたよりも怖かった!」等の感想、視聴のビデオは衝撃的な映像もあり、中には泣いてしまったお子さんもいました。
![]() ひめゆりの塔で献花 |
![]() ひめゆりの塔の前で |
2日目は、嘉数高台→チビチリガマ→美浜区公民館で緑ヶ丘保育園の神谷園長の講和→対馬丸記念館を視察。
嘉数高台は、4月1日、米軍が沖縄本島上陸の際、銃撃戦が最初に行われ場所で当時の銃弾や砲弾の弾痕がまだ生々しく残っています。
![]() 銃弾の跡が生々しい |
チビチリガマは米軍が上陸した次の日4月2日にそのガマ(自然にできた鍾乳洞)で3歳~70歳の住民80余名の方々が集団自決をした場所で当時米軍に捕まるくらいなら・・・ということで初めは子ども、次に自分と逝かれたとのこと。すぐ隣のガマでは、アメリカにいた方がおり「米軍はそんなことなんかしない!大丈夫だ!」とのことで大部分の方が捕虜となり、命を取り留めたとのことです。
![]() 当時を思い浮かべると、想像もつかないほどの恐怖があったことでしょう |
緑ヶ丘保育園は、2017年に米軍の戦闘機から落下物があり、保育園の屋根にぶつかった当時の話や今もなお、米軍の演習で保育園の上空を戦闘機が行き来する現状や問題点について講義。
![]() 講演中も遠くで米軍の戦闘機が轟音とともに飛び立っていました |
対馬丸については、終戦前の1944年8月、学童集団疎開の子どもたちを沢山載せて那覇港を出港した翌日に米軍の魚雷により撃沈、約1400名の方々がお亡くなりになっています。その対馬丸は1997年に水深800mの海底で発見されていますが、そこで亡くなっている方々がいるため、引き揚げてないとのこと。
記念館では、運よく生き残った照屋さん(情報労連)のご講演とビデオを視聴しました。
![]() 照屋さんは当時4才。撃沈後、気が付いたら 筏に乗っていたとのこと |
![]() |
今回も3日間を通じて、連合沖縄から各段のご尽力と当日には砂川事務局長、石川副事務局長、青年委員会の方々からガイド等いただきました。お忙しい中、ありがとうございました。
参加された皆さんから「戦争の悲惨さがわかった」「同年代の子どもたちが、戦の手伝いをしてたなんて考えられない」等の感想をいただきました。これを機に何かを感じていただけたらありがたいです。